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百代の夢に 雪ぞ降りける

あらゆる創作作品に対する感想を気ままに述べるだけのブログ

 日本では昔から読書法というものが持て囃される風潮にあります。どこの国もそんな変わらないのかもしれませんが、特にここ近年では自分の読書法がまるで万人にも正しいとでも言わんばかりのハウツー本が増えていることは否定できません。一番多いのは速読でしょう。しかし私は速読には否定的な立場を持ちたい。最近の認知科学的研究では速読と理解度は反比例する関係にある、などとも言われるように、どうも速読は嘘くさい。そのような印象が拭いきれません。そもそも速読程度で身につくような知識など、本当に必要などと言えるでしょうか。速読のハウツー本ではよく本のエッセンスは数%しかないなどといわれますが、そのような理論が通ずるのはそれこそ速読のハウツー本のような薄い内容しか持たない、いわば読む必要性の低い本なのではないでしょうか。もちろん偏見やバイアスに操られないように速読に関する本は多く読ませていただきました。しかし、この中の60%ほどは明らかにその効果を誇大しているとしか思えない、読者騙しの本だと感想を抱きました。中には速読の万能性を否定したうえで、速読の構造把握性を強調するような内容のものがありました。これには私もおよそ肯定的な立場であります。名付けるならば下見的読書です。その本が本当に読む価値があるかどうかを判断するための速読と言えば大意は掴んでもらえるでしょう。やはり、速読にはそのような有用性があっても知識を身につけるための速読というものは万人には習得できない、というのが私の持論です。

 近年、日本人の読書量が減っているという話はニュースや新聞に触れている人ならば誰しもが聞いたことがあると思います。小学生中学生の間は読書をする子も多いようですが、高校生になると本を月に一冊も読まないような生徒がかなりの割合を占めるようです。これは当然のことといえば当然です。昔のように娯楽が非常に限られていた時代とは違って、今は細分化多様化が進んでいます。本を読まなくてもスマホでいくらでも暇つぶしをできる時代です。しかし、大学生のような高度な知的教育に触れる層が全く本を読まないというのはかなりの問題を含んでいます。自分の専攻している学問の原典をあたるとしても、最新の論文を読むとしても、読書量の少ない人間は総じてそこに書かれている抽象的な概要を掴むことはできても、細かい論理を追うことはなかなかできません。更にそういった専門分野だけではなく様々な読書体験を積んで幅広い視点や教養を持たないと、その専門知識を上手く運用する知恵に欠けてしまいます。ここらへんは池上彰さんの教養論に触れていただけるとその恐ろしさがよく理解できると思います。日本人に欠けてるものはやはり向上心と勉強量です。よく日本人が言う言葉に「学校で六年も英語を話しているのに全く話せるようにならない」というものがあります。こんなことは当たり前の話なのです。何故ならば日本において英語の学習時間というものはいくら6年といえどもその密度が非常に薄いからです。言語をナチュラルに理解できる最初のステップは百万語を読むことから、などと言われますが、日本の教科書の総単語数は中高併せておおよそ二万語程度でしょう。しかもその全てを授業内ではやらないと思います。こんなことで英語をつかえるようになるわけがない。しかし、悪いのは日本の教育制度ではありません。普段英語を家や図書館で勉強しない私達にあるのです。なんでもかんでも学校で教えてくれるというその態度が日本人の勉強に対する怠慢を生んだのではないでしょうか。大学生になってもそういった精神のままでいる人をよく見かけます。たった九十分十五回の講義でその科目の何を分かった気でいられるのか、私には不思議でなりません。大学というものは受身の態度で学ぶのではなく、積極的な学習意欲が必要な場所です。分からないところがあれば教科書や原典を確認する、詳しい友人に教えてもらう、教授に質問をする、このような選択肢があるでしょう。それにも関わらず、そのどれも選ばないで講義の愚痴をもらすだけ、そのような人が周りにはいないでしょうか。

 ・・・と熱くなってしまいましたが、私も十分実践していることではない故に、猛省する日々を過ごしています。今日の主題は私の読書法を紹介したいというものです。もちろんこれは誰にとっても正しいというわけではなく、本当にただ紹介するだけです。そもそもハウツー本に書かれている内容は鵜呑みにするべきではなく、ところどころを参考にするくらいが最適なので、そこは分かってもらえれば嬉しいと思います。

 

 私が実践している読書法は大別して三つあります。

 一つ目は反復的読書法と名付けましょう。これはかなり手間のかかる読書法です。皆さんはエビングハウス忘却曲線というグラフはご存知でしょうか。詳しい説明は省きますが、なかなか信用しがたい理論であるにしても、そのエッセンスは掴んでおくべきです。それは、人間は一度の学習で物事を記憶できない、ということです。

 では方法の説明をしていきます。まずはノートを用意しましょう。ルーズリーフでも結構です。そこに自分が読む本のタイトルを記入します。ここで三百ページの本を読むと仮定し、三ページを一単位として扱うことにします。一日に読む内容はたった三ページだけです。これでは一冊を読み終えるのに百日もかかってしまいます。しかし、それでいいのです。まずは一日目、三ページまで読み終えたらノートに『日付 タイトル ~3P』などと記入します。そしてその横に『A B C D E F・・・・』とアルファベットを書いてください。そのアルファベットの意味するところは、その日に読んだぶんの復習日程をあらわすものです。これは事前に決めてください。例えば、『A=当日の夜 B=翌日 C=三日後 D=七日後・・・』といったように個人個人で最初に決めておいてください。まず最初に三ページを読んで、ノートに上記の記入をしたら、当日の夜にもう一回同じ部分を読んでください。そして読み終えたらAの部分を二重線なりで消してください。翌日、また同じ部分を読み終えたらBを消してください。こうして、一度読んだら同じところを二次関数的に反復していくのです。最初にも言ったようにこれはかなり手間のかかる方法です。あまりに一日に多くの分量を読みすぎると一年後には泣くことになります。それ故にこの読書法を試すのは自分の中でバイブルとでも言えるような本だけにしてください。一年に三冊ほどで結構でしょう。例えば旧約聖書新約聖書仏教経典のような宗教的な書物や、憲法民法刑法などの重要な基本書、更には哲学書のようなものもいいでしょう。あなたにとって一語一句が重要な本だけを設定してください。この方法では復習による記憶定着とレミニセンス効果による内容理解を目的としています。レミニセンス効果もまた詳しい説明は省きますが、最初は理解できなかった文章も日を置くと理解できるようになったというような体験は皆さんにもあるでしょう。

 二つめはノートを作成する読書法です。一つ目の方法で用いたノートの利用法ではありません。ここで使うのはルーズリーフがよいでしょう。まずはルーズリーフにその日の日付とおなじみのABCDEFG・・・のアルファベットを記入していきます。この読書法を行うにあたり対象とする本は、あなたが細かい知識までしっかりと記憶に定着させたい本です。例えば語学の単語帳や参考書、各種教科書、哲学書などです。まずは本を読んでいきましょう。何ページ読んでも構いません。しかし、本を読む上でしっかりと文章の論理構造や書いてある意味を把握することに努めてください(単語帳などはそのような必要はありませんが)。自分が必要だと思った知識や一文をルーズリーフに書き連ねていきます。そのノートに書き写した内容を今度は反復的読書法で復習するようにするのです。一つめの読書法よりは手間がかかりませんし、その本の細かい知識を確実に記憶に定着させていくことが可能です。ルーズリーフの管理だけは徹底してください。しっかり日付順にファイリングしておくのです。そこに書かれた知識はあなたにとって宝物であると考えてもらって構いません。

 三つめは要約読書法と名付けます。ノートは特に必要ありません。ただ読書をする場所は重要です。なるべく人がいない、独り言を言っても怪しまれない場所にしてください。ここで対象とする本は下見的読書などで自分が読む価値があると判断したハウツー本や新書などです。この読書法は見出しごとに(およそ3-5ページ程度)その内容を自分で要約して、それを誰かに教えるようにしゃべるというものです。一見ばかばかしいですが、これが実に効果があります。更には要約の力がつくかもしれません(正しい要約をすることができればの話ですが)。

 

 さて長々と話をさせていただきましたが、今回の読書法はどれも「自分が教養や知識を身につけるうえで一回の読書では足りない本」を対象としています。小説や漫画は分割的に読んでいくとテンポが悪くなりますし、やはり自由に読んでいただくのが一番でしょう。小説はストーリーというものがあるので、それを把握しながら一度読めば忘れることはあまりありません。忘れたらもう一度通読すればいい話です。

 

 それでは今回はここで終わりとさせていただきます。また次からは適当な作品レビューをさせていただく予定です。